国立科学博物館

 ふと思い立って、2月20日に上野にある国立科学博物館に行ってきました。

 三浦しをんさんの『ぐるぐる♡博物館』という本を読み、「面白そうだなぁ」と思ったのと、3月から仕事が始まるから、夢にまで見た「いきなり思い立って翌日フラッと都内へ遊びに行く」を実現させるには今しかないと思ったので。仕事を辞める前は、あそこへ行こう、ここへ行こうと妄想して自らを慰めていましたが、いざ身体が空くと、やれ疲れただのまだ行く日はあるだろうだの、あと、単純に行く日がなかったり。
 行くなら今だ。とりあえず行くべし。そう思っての事でした。

 さて、旦那さんを送りだしてから手作りしたお弁当を持って上野へ。
 駅中にあるショップに可愛らしい小物や雑貨がたくさんあって、それだけで「来て良かった!」と実感。久しく忘れていた「かわいいいいい!!」を心の底から心の中にて絶叫し、マスクの下でニヤニヤする等の行為に耽ったあと、駅の外へ。

 いつもの公園口から出て右手奥に案内所の奥。座る所がちらほらあったので、お日様もポカポカだしとりあえずご飯。そう、出るときにバタバタして結局到着が12時近かったのでした。

 外で食べるお弁当は美味しい。自分で作ったのに「美味いなあ。こんな弁当が毎日食える旦那さんは幸せ者だなあ」などと1人コントを挟みつつ完食。

 お腹もいっぱいになったので、科学博物館へ。

 大人1人620円。平常展だけでもすごいそうなので、企画展は見ずに平常展だけにしました。

 ロッカーに荷物とコートを預け、完全手ぶら。博物館やお寺さんは手ぶらに限る。100円リターンロッカー、ありがたし!!

 準備万端で、日本館にGO!。入口がB1なので、その上の1階から。シアター36○は設備改修のため3月下旬まで閉鎖しているそう。ちょっと残念でした。

 1階は「自然をみる技」ということで、天球儀や時計、顕微鏡、地震計など。古い天球儀を見ると、「のんさん(織田信長)もこういうの持ってたんかなー。地球儀はあったって話だけど、こういう感じなのかな」と妄想が捗りました(笑)。新しモノ好きだから、時計とかも好きだったろうな。とか。

 2階は「日本人と自然」、「生き物たちの日本列島」。めっちゃ頭蓋骨があるぅ!しをんさんも書いていたけれど、剥製がいっぱいあるけど怖い感じはしない。不思議と嫌ではないのが驚きでもありました。
 縄文人と弥生人。旦那さんは縄文人顔だと思っていたけれど、複製を見たら旧石器人が似ていた(笑)。私はやはり渡来系弥生人ということになるのかな。目が細くて顔が平たい。一重まぶただしね。
 リアルな蝋人形(?)がいて、各時代ごとの風俗を表していたのだけれど、中世の「聖と女性と連れている子供」というものは、坊さんに鼻毛がうっすら出ていて笑いました。ああ、誰かと一緒だったら「鼻毛!ねえ!鼻毛!」と盛り上がれるのに、1人では「ぐふぅ」と変な声を出して終わったことが残念。
 あと、頭蓋骨がたくさんあるので、しゃれこうべフェチの幼馴染に教えてあげたくなりました。コミケでカタコンベの写真集を買いこむほどの頭蓋骨マニアな彼女。それとも縄文人や石器人の頭蓋骨はまた違うのだろうか。

 たくさんの植物標本や動物の標本。日本に生息する生き物たちがたくさん。ツキノワグマもいて、「ヘンリー!
」とこれから書く小説の登場人物ということで刺激を受けたり、アズマモグラがいたので沸きたったり(前回、アズマモグラが出てくる小説を書いた)。もちろん、忠犬ハチ公のハチもはく製になって勇ましく立っていました。
 しをんさんが「ぼんやりした顔をしている」と書いていたからどうかなと思ったけど、そんなにぼんやりもしていなかったような。それより大きくて、「この犬がいたら前を通れぬ」と思いましたね。こんな大きな犬は近寄れない。私は。南極探検隊のジロは毛が長くてボーボーで、犬というよりは、クマ。これも街中でであったら「何の動物?」と一瞬二度見しそう。対比のようにいた甲斐犬は普通に可愛かったです。

 3階は「日本列島の生い立ち」、「日本列島の素顔」。フタバハズキリュウという恐竜の骨格標本が大きくて「おおっ」と声が出ました。ここも標本や剥製がたくさんいて見応え充分。

 2階だか3階だか…確か2階だったかな。ミイラがいたんですよ。発掘した経緯と一緒に、かなり生っぽいミイラが。そこに、「他の展示物は写真撮影を許可しますが、これは御遺体とも呼べる状態であり、写真に撮られて拡散されることは好ましくないので、写真撮影禁止です」みたいなことが書いてあって、なんか、感動しました。すごく日本人的だなと。ずっと昔の事とは言え、亡くなった方を悼む気持ちは科学の最先端にいる学芸員さんたちもお持ちで、「やめましょう」と言ってくださるのって、すごく、えと、すごいと思いました。嬉しかったです。

 いやあ、日本館だけでもお腹いっぱい。途中、企画展も2つ、3つあって、「隕石と鉱物」とか「天皇陛下の研究実績」とか。どれもワクワクと楽しい展示でした。

 最後にミュージアムショップに行き、「あああああ!!アノマロカリス!!!欲しいぃぃ!!」などとぬいぐるみを握りしめてぶるぶるしたり、こちらも楽しかったです。

 荷物をピックアップし、お隣の地球館へ。

 やはり外ロッカーに荷物とコートを入れ、今度は写真を撮ろうとipodだけポケットに突っ込んで、とりあえずB3Fへ。

 B3F「自然のしくみを探る」。日本の科学者たちや宇宙や物質について。好きな分野ではあるが、さっそく頭がハニ丸くんになる。「熱放射とエネルギー」とか、こう、実験装置みたいなのがあってボタンを押すと何かが動いて何かが始まって「おおお」みたいになるのだけれど、イマイチよくわからない。高校生らしき男子達がキャッキャとやっているのを横目に、「理系彼氏もしくは理系夫にネチネチ説明されながら見たい!」と思いました。あ、もちろん理系女子の友人でも構わないのですが、思いつかなかったもので。
 宇宙を探るというコーナーはボランティアガイドの人がスタンダードマジックみたいに小さなテーブルの前に立っていて説明してくれたのですが(日本館でもカンカン石についてボランティアガイドの人が教えてくれました)、なんか、言われていることの半分くらいしか入ってこない。日本館ですでに脳みそが80%くらいギュウギュウになっていて、ええ、そりゃあもう、入ってこない(笑)。

 実際、その上のB2Fでipodを落として電源が入らなくなってから急に疲れを感じ、日本館同様、素晴らしい骨格標本や剥製がたくさんいる中をふらふら歩くので精いっぱい。

 時計を見ると3時を回っており、1Fまで見て「続きは次回にしよう」と諦めました。

 うーん、どっちから見るのが正解なのかなー。情報量が多くて疲れちゃうね(笑)。

 私はなんとなく日本館の方が好きです。日本列島における多様性を見るのが好きで、ヒグマやシカの地域的個体差とかとても興味深かったです。花や鳥も、普段見たことのあるものが展示されており、なんだか親近感と言うか不思議な感じもしましたしね。

 途中で買い物をしたりしたので、帰宅したら5時を過ぎており、シャワーをさっと浴びてからすぐに晩御飯の支度。ちょっと休憩していたら旦那さんが帰ってきてご飯。ちょっと慌ただしかったかな。

 今度は必ず旦那さんと二人で行きたいと思いました。かなり楽しかった。トーハクの常設展より好きだ。

 良い一日でした。とても、とても楽しかったです。


 

しょむじょ

 昨日は母親に誘われて某ファミレス系列のお店に4人で行ったのですが、なんと、別店舗に!!

 いつの間に潰れて違う店になっていたのか(困惑)。栄枯必衰、諸行無常ですな。

 そのあとは別のイタリアンレストランでピザやパスタを食べましたが。日曜日のお昼時。めっちゃ混んでいるせいなのか、きちんと作っているせいなのか、最後の料理が来たのは座ってから40分以上が経過してた頃で、店に入ったのが12時ちょい過ぎ。食べ終わって出たのが13時半前。長くいたな…あの店…。

 確かに美味しかった。値段はサイゼの5倍くらいするだけはある。
 だが、せっかちな私としては「もう一度来よう」とは思えないのでした。値段と時間と味のバランスを鑑みて、それならもう少し安くて早く提供してくれるお店が良いと思ってしまう貧乏人はもう行かない方が良いということですな。身分相応。これ大事。

 帰りがけに寄ったシャトレー○で買ったシュークリームやよもぎ餅はとても美味しかったです。最近、カボチャプリンやチョコプリン、ガトーショコラなんかを作って甘いものは食べまくっているのに、ブリティッシュ・ベイクオフを見ると、また食べたくなる。罪な番組だわ。

 仕事は来月からかなあ。「連絡します」と言いつつ来ないから、それがあの事業所のスタンスだと思って、こちらもぼんやり適当にしようと思います。
 
 私の心配は自分の事より旦那さんのことで。仕事で嫌な思いをいっぱいしているみたいだけど、どうにも私は助けられないので歯がゆい気持ちがあります。
 でも、昔から、傷を負うと洞窟の奥深くでじっくりと一人きりで傷を治すタイプだから、私は余計な事をせずにマイペースでいる方が良いのかしらんと思ってもみたり。そうやで。助けるなんておこがましいもんね。

 なんだか足元が固まらずにフワフワしているけれども、全ては諸行無常。色即是空空即是色。なるようになるでしょ。どうにかなると信じております。

もやもやの正体

 どれだけ「駄目だったんだ」と思っても、「いや、なんというか…いや?」と思っていた。
 私の変なカンは外れたことがなく、「これは思う通りにいったな」と感じることはその通りになるから、「あれ?うまくいくと思ったのに?」という気持ちがモヤモヤになっていた。

 「1週間で返事来るって言ってたけど、もう10日だよ!」って思っても、「急いで探そうとしてなかったから、他の人を待ってるんじゃね?」と囁く小人がいたし。
 「何の連絡も来ないような所で働くくらいなら、働かなくてもいいやい」と思っても、「Mさんも母親も今週いっぱいは待ってみろって言ってただろ」と囁く小人がいたし。

 なんというか、いつもの自分の神通力が外れたことに対する不安が大きかった。

 神通力っていうと語弊があるけれど、「ああ、あたし。やばい。何というか、カミサマに見放されたのか」と思って。

 事実、「そりゃそうだ。願う通りにすべて事が運べば苦労しない。頼むとお願いしたからといって叶えてくれるばかりじゃないだろう」と思ったら案外「仕方ない」と落ち着いた。もとより今年は運が悪いらしいじゃないか。しょうがないと。

 なので、今日、採用しますと電話が来たときも、「あ。そうか。やっぱりなのか」と思った。

 提示するスキルと、あちらが欲しているスキルはマッチしているのだし、旦那さんの言う通り、パソコンスキルのある人(と言っても私はwordをいじったり文章を書いたりできる程度だ)が短時間勤務の最低賃金で働きたいと言うかとなれば、それは少数であるかもしれなかった。

 いろいろと自分の中で否定しまくったことだけど、バイクで5分とか、旦那さんを送り出して洗濯物を干してからでも家を出られること、基本的に残業はなさそうなところなんかは魅力的だと思っていたのだ。
 あと、めっちゃ「有給使って」って言ってた(19年間働いてきて、有給なんて使ったことなかった民)。

 仕事内容はたぶん雑多で、自分のペースで片付けて行けば良いのであれば私に向いていると思う。

 ただ、採用の報告をした母からこんなことを言われた。

 「アンタは出来るからって、すぐやりすぎるから。やりすぎちゃ駄目だからね!言われたことだけやってなさい!」

 我が母親、さすがに40年以上私の親をやっているだけはある(笑)。

 とりあえず、今は収入が少しでもあれば気持ちにゆとりが持てるから良いなと思っている。別に旦那さんの給料に不満はないけれど、やはりほんの数万円でもあれば違うかなって。

 後出しじゃんけんで申し訳ないけれど、先週末、しまむ○でズボンを買ったのも仕事で履こうと思ってのことだった。
 きっと大丈夫だろうから、ジーパンNGの職場でも履ける楽なズボンを買っておいた方が良いと思ったのだ。あれ?大丈夫だと思ったのにな?と、ここ3日はモヤモヤしていた。無駄にならなくて良かった(っていうか、むっちゃ楽なズボンだから普通に履くけどね!)。

 生活に支障がないように。旦那さんに心配と迷惑をかけないように。
 Mさんは「気分転換程度に働いたらいいよ」と言ってくれた。それはとりもなおさず昨年大変お世話になったハロワのKさんに言われたことだった。

 「Oさんは真面目すぎるからさ。日々の気分転換程度の仕事をして、たまに旦那さんに職場の愚痴をこぼすくらいにした方が良いよー」

 頑張れない自分に対して嫌気もさすが、私はかつてMさんに言われた通り、イエティではなく雪山でプルプル震えるウサギなのだ。

 子供に囲まれていた19年間。

 これからはジジババに囲まれた何年間かになるだろうか。ううん。辞めたくならずに続けられたらいいな(「適当にやって嫌だったら辞めちゃいなよ」とMさんと旦那さんは同じことを言ってくれた。あの二人こそ、私のカミサマだと思う)。

 こんなダメな私でもどうにかやれてるっぽい。大好きな友達が、今、笑えていますように。

「なにもない」を満喫

 「1週間くらいで連絡します」と言われたきり、今日で1週間なんですけど合否が来ません。

 「来ない」=「駄目だった」という認識でよろしいんでしょうかね。それとも、「くらい」って厳密にはいつまでドキドキしてなきゃいけないんでしょうか。その辺ははっきりと聞いておくべきでありました。

 まあ、なんというか、それでもモヤモヤしておりまして。
 なぜモヤモヤしているのかを精査してみました。

 不採用であった。それは嫌であるか。否。何故か。旦那さんが「ゆっくり探せばいいよ」と言ってくれているし、駄目なら駄目で、採用なら頑張ろうくらいの気持ちだったから。
 不採用であった。何か困ることはあるか。履歴書を書くことは?辛くない。あれだけ書き損じたけど、今回からは書き損じもなく書くことができたし、面接自体もあまり緊張しないようになった。トライ&エラーを繰り返すことも、仕方がないと思っている。
 不採用であった。それ以外に何か問題はあるか。条件や勤務内容が良かったと思っていたが、今後、同じような求人が皆無である可能性が100%なわけではなし、それは縁があれば見つかると思う。
 急ぐ必要はあるか。できれば早く働き始めたいと思いはするが、焦って失敗したり、また雇用主や旦那さんに迷惑かけるくらいなら下手に手を出さない方が良いと感じる。

 認知行動療法もどきで考えてみるに、まあ、今回の事はとりあえず忘れて、次へチャレンジしろということであるな。

 不採用であり、専業主婦を続行するにあたって、次にするべきは何か。歯の治療。及び、親知らずの撤去。体も頭も万全になってから社会に出るべき。

 それと、A先生へのお礼の手紙の草稿も作らねばならない。忘れてた(←忘れては駄目だ)。
 遺言書の作成は、うーん、どうだろう。なんだか、もうちょっと先延ばしでも良いような気がしてきた。母親は「覚書」を書いたと言っていたけれど。やる気があるなら両親主導で動いてほしい。本音としては。

 お金に関する心配はどうか。正直、昨年の決算を見るに私が無職でいると収支は±0であろうが、金は天下の周り者。まあ、ぶっちゃけ貯金もあるしどうにかなる。そもそも、独身時代にガッツリ貯めこんだから、結婚してからはそんなに貯金をわっさわっさと増やしていく気持ちもそもそもなかったりしたのだし。長い人生、2~3年くらい働かなくても…その先は申し訳なくて言えないけど(笑)。

 寒くて止まっている執筆を進める必要性もある。なんとなく中断してるけど、書きたい気持ちはもちろんある。確かに昨年の流行病みたいな浮かれた欲は冷えたものの、純粋に文章を書いていたい気持ちは消えない。

 今はようやく「何もしない」ということを満喫できている。前向きに何もしていない。忙しくなったとき、「もう十分、ゆっくりしたからいいや」と言うために。

 取りも直さず旦那さんには引き続き迷惑をかけまくるが、それについては平身低頭謝り抜くしかないのであった。

 子なし専業はニート以下であるが、生産性はなくともせめて他人様に迷惑をかけることなく生きていきたいと思っている。思うはタダだしね。

 もう少し、「家にいてもつまんねえし、働きてえ」と思わなきゃいけないんだろうな。でも、そんなこと一生思わないからな、自分。

 あー。ええと。3月になったらもう1~2か所、どこか探してみます。頑張れ、俺。

けっきょく、なんだ?

 旦那さんが借りた本を読みました。

 『女って何だ?』(カレー沢薫・著)


 
女って何だ?
キノブックス
2018-04-18
カレー沢薫
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト




 著者名を見れば一目瞭然ではありますが、フェミ本ではありません(笑)。
 カレー沢さんが「担当から送られて来る○○系女子」について書いている態の本です。
 いわゆる、「サバサバ系女子」とか「ゆるふわ系女子」とかそういうやつですね。むろん、カレー沢さんの本ですから、彼女らしい独自視点と言うか毒を吐いているように見えて誰も攻撃していないというしなやかさ。さすがです。
 私も女性として生を受け、それなりに女性社会で生きてきたので概ね異議なし。それどころか「ここ、すごい当たってる!」と旦那さんに音読する場所も多々ありました。
 ただ、「女子高、女きょうだい育ち」はなぁ…。いや…自分、三姉妹の男女比率1:9の高校卒でござんして。

 女子高はね、いいよ。まじ。最高。私は中学で完全無敵なる男性恐怖症(男性嫌悪性)に陥ったため、なんとしても女性だけの学校に進学したく両親を説得するも、上の2人の姉が私立の女子高だったため、父親から「女子高にだけは行かないでくれ」と言われ(姉2人の素行の悪さで妹が迷惑したパターン。しかも、これは「遊ぶから」ではなく、「男っけがなくなるから」という逆張りの説得であった)、高校を選べるほどの成績でもないくせに知恵を絞って男女比率が普通高とは異なる農業高校に「これを学びたいため、進学したい。ここは公立であるので負担もかけない」と男女比率の事は内緒にして進学した。出身中学校からは初めての進学者で、先生も「この学校の偏差値、よくわかんないけど、たぶん大丈夫じゃない?」というアバウトさであった。今考えると恐ろしいが、母校が馬鹿な高校で良かった。
 
 前置きが長くなったが、私は乞うて女子が多い高校に行った。1クラス約40人であるが、男子生徒は1年次は7人くらい、一人減り、二人減り、結局卒業時には男子生徒は5人くらいであったと記憶している。

 同じ学科の隣のクラスは成績も良くてスクールカーストがきっちりしていたけれど、うちのクラスは馬鹿でぼんやりした連中ばっかりで、カースともゆるゆる、「モテ系」の子達はいたけれど、要するに、「ゴリラばかりで楽だった」のである。

 そう、女子高には「いつまでたっても恋愛ネタが好き、男はすべて恋愛対象に見える(ただし妄想だけ)」「若く見えたい欲が強い」「恋愛ネタに疎く、何なら男は想像上の生き物だと思っている」とか、そういう人はいない。なにせ、ゴリラばっかりなのだ。男なぞ食えるものではないから興味ないし、みんなしてゴリラだから恋愛ネタは「今日の株価はどうだった」という話と同じくらい遠いし、それでも構わないこの密林の楽園が好き。である。

 イメージとしては「女子大」って感じじゃないかな。女子高はね、もっとゴリラばっかりだよ。大学だと他大学とコンパとかあって、共学でずっと学んだ人との差はあるのではと想像できる。ゴリラも大学生になるとニンゲンに化けなきゃいけないだろうし。高卒であれば(女きょうだい育ちの女子高卒であれば)、このような特徴にはからっきし当てはまらないし、女きょうだい育ちの女子高卒だが共学の大学に進学しても同じようにはならないと思う。
 中等部から大学までずっと女子だけの学校にいた人限定。私はそんな予感がするし、そんなお嬢様、あまりいない。
 でも、こういう女性は一定量存在するという言説もわからなくもない。

 それと、カレー沢さんは自らをコミュ障って名乗っているけれど、コミュ障の人ならば結婚できないんじゃないかしらん。それなりに円滑なコミュニケーションを図れる人なんだよ。
 と、書いたところで、我が家にもコミュ障(自称)なのに結婚した人がいた。
 自らフラグをへし折ること数回。女性と二人きりで食事に行くも、全て発展せず。それなのに特段の焦りもなく婚活も全くしていなかったが、いきなりそこの横丁から出てきた変な女に惚れられて気づいたら結婚していたという男が!我が家に!!
 まあ、うちの旦那さんは胸襟を開いた人にはよくしゃべるし、本人はユーモアに溢れた面白い人だから、知れば誰でも惚れると思うのよね。要は、その洞窟に体ごとダイブするかどうかってだけで。彼と知り合ったにも関わらずそこで関係を止めた人は見る目がなかったんだと思うし、初対面の時に「ツボな人は絶対にいるから、そういう人にはむちゃくちゃモテるはず!って、まず、あたしがツボだけどねww」って思ったしな。
 自分の事しかしゃべらない(相手の話を遮ってまでしゃべる)とか、想像力が痛ましいほど欠如しているって人はコミュ障なんだろう。初対面の人と気安く話せないとか、苦手という人は照れ屋さんなだけでコミュ障とは言わない。という気がする。

 第二部での、「女の生き方」では、「どこを通っても地獄」という明確な答えが示されていておもしろいです。こちらの方が顎がガクガク言うほど頷きながら読みました(音読回数の増加)。

 特にこの一文。

 ”ちなみに、結婚していて子どもなしで働いていない女はどうかと言うと、「じゃあお前は何をやっているの」と、何故か独身で働いていない女よりウンコ製造機扱いされる。何をやっているも何も「家事」をしているのだが、世間から見ると、子なし家庭の家事など、何もしていないのと同じことになるようだ。子どもがいないというだけで、不思議なことに家事手伝いよりも存在を認められていない”

 カレー沢さんの「自分が子どもを作らない理由」が私とほぼ同じであるため、そこに対しても親近感が爆上がりした。

 だって、なんならニートよりも地位が低いんですもの。子なし専業。
 別に子なし専業の地位向上を云々は言わないですけどね。別に甘んじて受け入れています。悔しかったら同じように仕事を辞めて家事一本で過ごしてみろと言いたいし、それを許してくれる収入を稼ぐ心根の優しい夫を見つけてみろと言いたい。そうよ、disってくるのは羨ましいからなのよ。かわいそうに(と、思うことで心の平穏を保つ)。

 常につきまとう罪悪感と共に暮らしてみたら良いんじゃ!阿呆!(こっちが本音)。

 誰かと比べても詮方なく、己の人生を生きよということですね。

黄不動

 久しぶりに写仏しました。園城寺の黄不動です。ホンモノは以前サントリー美術館で見たなぁと思いながらマッキーで写仏しました。

 マッキーで写仏!!

 正しくは「マッキー極細」ですね(そこじゃない)。

 細かい所を筆ペンで写すのがアレだなぁと思ってマッキーと言う決断をソレしました。怒られないと思う。弘法も筆は選ばんらしいし。


 
画像


 やはり線がパキッとしてますね。マッキー。さすが。
 裏移りはバンバンしたけれど、まあ、いっか。

 先ほど、ニュースで水泳の池江選手が白血病を公表したというニュースを見ました。
 こういうニュースを見るたびに、「その人じゃなくて、俺にくれよ!その病!」って思います。研鑽をつんで歴史を残す彼女より、ただダラダラと幸せに生きるだけの自分の方が…あ、いや、でも、彼女はきっと寛解して戻ってきてくれる!私だったらむざむざと負けると思うけど、彼女は立派に戦い抜いて元気になる!それなら…通過点ということでしょうか。それにしても辛い。神様は時折ひどいことをなさいます。

 生きる力と言いますか、昨今、近所でおキャット様たちが春を迎えているらしく、ぐにゃぁぁおお、んぐにゃぁぁおお、と、ラブシーズン特有の鳴き声が聞こえています。
 この季節はケンカも多く、野良猫さん達が流血沙汰になることも少なくないため、「がんばれよ、ただし、怪我するなよ」と生暖かく見守っていましたところ、今日、驚きの洗礼を受けました。

 昼前、買い物に行こうと愛車(原付バイク)のカバーを外したところ、目に染みる異臭が!
 あまりに臭くて「おおう」って引っ張ったら、そもそもボロボロだったカバーが「ビシャン」という音を立てて裂け…。ああ、駄目だ。もう、こいつは救えない…。
 おキャット様のラブシーズンにおける本気のスプレーの匂いはすさまじいものがあります。そそくさとカバーを丸めてビニール袋に詰め込み、なお異臭がプンプンする袋を、まだゴミ収集車の来ていないゴミ捨て場へとダンクシュート!!

 やれやれと思ったのもつかの間、まだ猫ションの匂いが取れない。おかしい。手も洗ったのに。

 やや!丸めた時にダウンに匂いが移ってしまっておる!!

 仕方ないのでフンフンと匂いを嗅ぎながら異臭ポイントをチェックしつつ濡らしたタオルでふき取り、あまり取れないと知るや流水でザバザバ洗って外へ干しました。買い物の前にこの重労働(そんなに重労働ではない)。

 捨てたカバーの二代目をどうするか逡巡いたしましたが、新しいと見るやおキャット様は「おお、ここを忘れておるわい」とすかさずスプレーすると思うので、今しばらく止めることにしました。バイク自体にひっかけられるなら水でザバザバ洗えるし。カバーは、なんか色とか残りそうだし。

 買い物から帰宅後、乾いたダウンにファブリーズをめちゃくちゃ噴霧して寝室に吊るしております。匂い、取れると良いなぁ。

 以前、近所のラブリーキャット・太郎ちゃんが家の中に入ってきて、靴下を入れている段ボール(なぜ段ボールに靴下をしまっているかは聞かないでください)にピピピっと猫ションをひっかけた時の数十倍は臭かった。マジのスプレー、ガチだぜ!

 このせい(スプレー)で猫を嫌いになって、猫に嫌な事をする人が出現しないことを心より祈ります。おキャット様に暴力行為をする奴はどんな人間であれ即刻死刑が妥当だと思う。

 生命力にあふれたおキャット様の愛の絶叫を聞きつつ、今日も一日何もせず日がな一日のんびりと、幸せに過ごせるありがたさを噛みしめるのでした。

 こんなに幸せで良いのかしらねぇ。願わくば、一日でも長く続きますように。

よろよろと、すすむ。

 自分が「できる」と思ってはいけない。自分はむしろ「できない」の側の人間なのだ。

 そう、言い聞かせながらパートの面接に行ってきました。

 仕事の内容は「広報誌を作る・事務」。うああ、アバウトぉ。
 んで、正しい内容は、「雑用」。うん、これなら納得やで(笑)。

 厳しい目つきの女性と、終始明るい女性の二人で面接でしたが、いいかげん面接慣れしたのか、旦那さんが「社会見学だと思って行っておいで」と言ってくれたおかげか、何一つ緊張せずに終わりました。そも、人見知りせんしな。

 なんで前の職場を辞めたのかという話をフラれ、「仕事が終わるのが遅く、また何時に終わるかわからないってこともありましたし、単純に混んでる病院だったので仕事量が多くて続けるのはムリだと思って辞めました」と言ったら、「んー。うちはそういうのないからね」とのこと。
 前任者が長く務めた方らしく、「適当にやってたから。シフトとかも自分で勝手にこの日とこの日は出るってやってたし」「週に3日くらい来てたっけ?それと、たまに4日とか」。

 ということで、週に3日。たまに4日。9時から13時。日曜日は定休日。土曜日はやってるけど「出てなかったよね?」「出てなかったねー」とのことで、休めるらしい。

 面接が終わって、明るいおばさんに現場を見せてもらった。
 じじばばが塗り絵をしたり、リハをしたり、カラオケを歌っておる。賑やか。その、じじばばが見える場所の隅っこにパソコンが数台置いてあって、「ここが、その人(辞める人)の席」。

 テプラで職員の名前を作ったり、利用者さんが使う塗り絵の表紙に名前を書いたり、看護師さん達が会議で使う議事録をワードで打ち出したり、果ては近くのスーパーにロールケーキを取りに行ったりするそうな。なにそれ、楽しそう。

 かなり自分の裁量で「頼まれたこと」をこなせば良いらしい。写真のプリントアウトとか、名札を作ったりとか。

 夏季・冬季休暇については、冬はお正月休みが5日程度。夏休みはないけど、みんな有給を使って勝手に結構休んでいるらしい。アバウトやなぁ。

 きちんと、「私は忙しすぎる所で働いて体を壊したりしたから、たくさんは働けないし、すごく忙しいと追い詰められてしまうから、こちらからそういうことを言うのは失礼ですが、そうですと無理です」と言ってきましたよ。

 あ、広報誌も月一で作るみたい。もらってきた。読んだら「ここで改行したら気持ち悪いやんけ!」とか「この文章おかしいやんけ!」と思った。ううん、これで合格なのか(遠い目)。

 帰宅して、目つきの厳しい女性が責任者だったと知りました。なるほど。

 どうやら求人を貼りだして間もないらしく、1週間は待ってほしいとのことで「もちろんです」と頷いてきました。

 あ、それと、バイク通勤可なの。それはデカい。バイクで行けば5分程度で行ける。

 採用してもらえたら、働きたいなあ、と思いました。

 採用してもらえなかったら、専業主婦として鋭意努めて参ります。

 どっちでもいいや(笑)。

 

 それより、パンプスがぶかぶかで、ストッキングの上にフットカバー履いて行ったんだけどボガボガ外れて歩くのが大変だった。雨だったからかなー。おかげで足が痛いよ(変な歩き方をしたため)。
 

明日は我が身

 お昼ご飯の後から読み始めて、読み終わりました。


 『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』(松浦晋也・著)

 
 
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト




 なんや、有名な本だったのか? 密林のアフェリエイトパーツ探したら、表紙だけじゃなくて何種類もあった…。

 本書は、結婚歴のない50代男性が80代の同居していた母親を介護するルポなのですが。ただ一文「大変でした」のその5文字に込められている「大変さ」を想像すると、軽やかに読める本なだけに、空恐ろしいです。
 作者の御母堂はアルツハイマー型の認知症で、症状がグングン進むのが読んでて怖かったです。今のところは私の両親共に認知症の気配はないものの、「あ、これは?」と思ったらあっという間にこうなるのか…。って考えると…。

 「忘れる」って一口に言っても実感が沸かないけど、「こういうことか」と思ったのが、作者さんがはじめてお母さんに手を挙げてしまい、二人で叩きあい(殴り合いにはならなかった)時に、お母さんが口の中を切って血を出した際、「あれ?私、なんで血が出てるんだろ」と言ったそうなんです。その直前まで「息子に手を出された!母親を叩くなんて!」ってすごく怒っていたのに、叩かれたことすら忘れてしまうらしく。そして、その時に「忘れるからと言って、叩くのが常態化して虐待するようになったら大変だ」と気づけた作者さんは意を決して妹さんにSOSを発するわけですが。賢い人だなと思いました。

 弟さんと妹さんがいて、兄弟仲が良かったというのもポイントだったんでしょうね。
 あとは、「運」。よいケアマネさん(相性が良く、勤勉)やヘルパーさん、それに、お母さんが強いヒキを発揮して、「ここに決まったら良いね」と言っていたホームにするすると入居するなど。
 こればっかりは、どうにもならないからなー。

 「もっと過酷な介護をしている人だっている」って思う人もいるかもしれないけれど、率直な言葉はとても勉強になりました。私も父親の大便を風呂場で流す日が来るのだろうからなー。

 「介護は身内の手を離れた方が良い」

 これは祖母の在宅介護をしていた叔母も言っていました。考えてみると祖父はまだらボケにはなったけど、はっきりした認知症症状(徘徊や過食、排泄困難など)が出ずに癌で亡くなった訳で、単純に「癌という病気を患った人の介護」しかしていない。そうか、あれよりずっと大変なんだな(遠い目)。

 こればかりは心構えと勉強をしっかりして、あとは座して天命を待つのみですが。両親の介護はせずに終わっても、自分や夫のこともありますしね(親の介護よりも夫の介護の方が大丈夫な気がする)。

 題名は「母さん、ごめん。」ですが、十分に(ストレスで帯状疱疹になったり幻覚を見たりするほどに)頑張った作者さんは、お母さんに謝ることないような気がします。
 どれだけ手を尽くしても「もっと他にできることはなかったか」と思ってしまうもの。それがわかっているだけでも少しは心が軽くなるような気がします。

 優しく…できるといいなぁ。

文章を書く

 冬場はパソコンを開かないと以前お伝えしましたが、まさに「めんどうくさい」が降臨すると、ほんっと何もしなくて困ります。
 でも、こうして「えいや!」と開いて長文をキーボードで打っていると、変な脳汁が出て「ああ、楽しい!文章書くの、まじ楽しい!」って思います。
 
 今、ipodのアプリで「しまぐらし」ってのをやっているのすがね、それに、小ネタは書けるんですよ。旦那さんが言った可愛らしい事なんぞを書くと、「共感」がついて「優しい旦那さんですね」なんてコメントをもらうわけです。それを見て「ふふふ、うちの旦那さんの良さを一人でも多くの人に布教せねば」などという気になったりならなかったりほとんどならなかったり。

 ただ、良いことばかりではなく。
 以前、誕生日の時に我が家の特殊な誕生日事情(私が誕生日のお祝いをしなくて良いと固辞している)と書いたら、ものすごい量のコメントが来て、まあ、ほぼ「お前が悪い」で、「こうしろ」「こうやったら良いと思いますよ」で、ほとほと疲れて死ぬ思いをしました。
 それに注目がわんさか集まると逃げたくなる性分(基本的にスポットライトを浴びると死ぬ陰キャ)なんです。表舞台には立ちたくない。そう、痛感しました。
 だいたい!「気分を害したら申し訳ありません」ってつければ何を言っても良いと思うなよ!ぎにゃー!
 それを旦那さんに零したら、「SNSは自分の好きにすれば良いところだよ」とのご回答があり、目からウロコがボロボロ落ちて、「私が嫌だと思えば返事とかしなくて良い!知らん!知らんがな!」とブロックやミュートをするなどして乗り切りました。
 
 そんな「しまぐらし」の良い所は、書いたものが24時間で消滅するというところで、諸行無常、前と矛盾することを言っていてもバレないってところかな。

 そんな感じで文章は微妙に書いているけれど、やはり長文の方が楽しい。

 150文字くらいで私の長々しいアホ文章が書ききれるわけないんじゃ!

 インプットばかりだから、たまにアウトプットしないと夢に溢れ返るということもわかりました。ものすごく端的に「見たもの」「思ったもの」が夢にドバドバ溢れるのです。
 思い返すと、「ここでアレをみたから○○さんが出てきたのか」等、出所が全部わかる。
 これは大変つまらないことであります。夢は「何でこんな夢見たのだろう?」って首を傾げるような、奇妙で滑稽なスペクタクルの方が楽しいに決まっています。
 小説を書いていたり、こうして文章を書いていたりすると、まったく意味の分からない(ストーリーとしては整合性はあっても)の夢を見るってことは、きっと適度に出さないとつまらない脳みそになるってことじゃないかしらん。それは文章を書く人間としてはぜひとも避けたい。
 だって。たまには、「ものすごく面白くてよく出来た漫画」などを夢の中で読みたいもの。

 もちろん、専業主婦で刺激の少ない平和な日々だから、何の悩みも苦労もなくて、脳みそが平凡化しているということもありましょう。それはそれで構わんけれども。

 そう、家にいて、誰とも喋らない生活をしていると、テレビのワイドショーやニュースなんぞをぼんやり眺めているうちに、テレビでやかましく断罪している犯罪者に対して、変な怒りが沸くということも知りました。
 ぶっちゃけ、どんな犯罪を犯していても、自分や自分の身内が被害に遭っていない限りは「へえ。悪いことするやつがいたもんだな」ってくらいで、あまり気にもならなかったのが、「これはひどい!こんなことをするやつがいるから、こうしたら良いのに!」などと奇怪な正義感でコメントを打ちたくなる。これは悪い傾向なので、早急に直したいです。
 これが進むと、見ず知らずの人であるにも関わらず、犯人の事をミソクソに言うBBAになってしまう。恐ろしい。そんな化け物にはなりたくない。

 感覚が鈍麻したり、瑞々しい感受性が摩耗していくのは加齢と共に仕方のないこと。
 けれど、そこを読書や自然と戯れることで遅らせていきたいですな。 

 なるべく「めんどうくさい」と思わずにノーパソを開いて駄文を打つようにしよう。

 夢が、訳が分からない不可思議な世界になるまで。

いきもの社長と言葉俳句。

 買った本と借りた本と。

 『ゆかいないきもの㊙図鑑』(ぬまがさワタリ・著)


 
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト




 ウワーッ(←あいさつ。)でおなじみの、ぬまがさワタリさんの本です。以前、『絶滅どうぶつ図鑑』を買ったときに、この本が出ているのを知りまして、しかして両方買うなんて贅沢に過ぎると畏れた私は図書館で予約をしておりました。だがしかし。人気のある本のため、予約がいっかな回って来ず、すっかり忘れていたところで本屋にて出会い、旦那さんと友人が左右から「買っちゃいなよ」とサラウンド方式で言うので買いました。後悔はしてない。
 今まで読んだ本の中で、一番ボリュームがありますね。お買い得感があるから、どれを買ったら良いか迷っているならこれにしろ。と、思います(面白さなどは暫時違いますが)。
 相変わらず絵が可愛いのとコメントがおもしろくて、エピソードを読んでからタブレットでその動物を検索しては「おお、絵の通りだ。素晴らしい」などと感銘を受けておりました(たぶん嫌な読者の典型)。
 地上の動物も、海の動物も、空の動物も、まんべんなくたくさん出てくるし、身近な動物や名前も知らない動物、本当にたくさんで楽しい。
 そうだった…おいら…図鑑が好きなんやった…(唐突の告白)。気が向いたところからめくって眺めても良いし、素敵な良書。ぬまがささん、これからも応援してます!



 『腐男子社長』(カエリ鯛・著)



腐男子社長 (ピクシブエッセイ)
KADOKAWA
2017-02-23
カエリ鯛
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト



 つ、ついったーで流してくれている時から好きでした!ハァハァ。
 そんなら定価で買えやとジャイアントスイングを喰らいそうですが、そうです、ブックオ○にて100円で購入しました。すいません、カエリさん。あなたのお役に立ってません。よよよ。
 ツイッターでバズって「こ、これはええものや!」と思う人は続々と書籍化され、知ったときは「買うぅ!ぜったい買うお!!」と鼻息を荒くするんだけど、いざ、本屋さんで1000円くらいで売られているのを見ると、タダで見れていたものが千円なのかという貧乏根性(描き下ろしがたくさん入っていてそのままではないことは重々承知です)と、自分が買わなくてもこれだけ平積みになって人気があるようだから大丈夫ではないかと手が止まるのでした(そうやって作家は死ぬのだ)。
 つまり、タダ読みクソ野郎なのが私ということであるが、それについては全く異論はなく、作家様各位には土下座をして回りたいところですけれどもね、こちらもね、いろいろとね、使えるお金の有無ってもんがね、って誰に言い訳しているのやら。
 あ、だけれども、旦那さんの手前、専業主婦だから買えないという意味はこれっぽっちもありません。なんつーの、「まあ…いっか…」って気持ちになるの。その気持ちに名前をつけるなら「ブッ○オフで安くなっていたら買おう」かな(てへぺろ)。
 前置きが長くなった(通常運転)。内容ですが、これがかなり面白かったです。ツイッターその他で読んでいた部分もあるけれど、だいぶ前で忘れていたりもあるし、単純に笑いのツボが合うらしく、声を上げて笑いましたよ。
 漫画を読みながら「あっはっは。やべー、見てみて、これ超おもしろい」と旦那さんに音読したのはいつぶりであろうか。否、やったことない!
 さすが、腐れネタ+豆知識は無敵やわ。あと、絵が上手いよね。純粋に。そう、絵が好み。加えて読みやすい。つまり、漫画が上手い。続巻…出してほしい…。またブックオ○で買うから(定価で買え)。



 『芸人と俳人』(又吉直樹×堀本祐樹・著)

 

芸人と俳人
集英社
又吉 直樹
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト




 こちらは借りました。旦那さんが文庫版を借りていて、「読み終わったから読んでみなよ」と勧められたのですが、貸出期間が終わる前に読み切れないので私は私でハードカバー版を借りるという変則的な事を(笑)。
 これ、むっちゃくちゃ面白かったです。又吉さんが良いのか、堀本さんのおかげか、二人の組み合わせが合っていたのか。又吉さんと堀本さんの対談形式の、堀本さんが俳句初心者の又吉さんに俳句のいろはを教えていくという本です。
 あとがきでも書かれていましたが、又吉さんと一緒に俳句を学んでいるという感じがとても強く、また、又吉さんの感受性豊かで切れるコメントがとても秀逸。途中のコラムも面白い。
 私は短歌の人間で、俳句というと「言葉数が少なくて制約も多いから、言いたいことを表現するのは難しそう」というイメージでしたが、なるほど、季語ひとつで意味を深めたり補強できたりするんや、って勉強になりましたし、歳時記を読みたくなりますね。季語、覚えたい(笑)。
 某テレビ番組で俳句、やってるじゃないですか。お着物を着た毒舌の俳人が、芸能人の詠んだ俳句を査定するやつ。あれを見ていて、「俳句って退屈だなー」って思ってたんです。正直。例えば、「この写真を見て一句」と言われ、どれだけ想像を飛ばすかがカギであり、見たままを詠むと「駄目だ」と言われる。見たままを写実的に詠むんでも良くない?って思ったし、難しいなー。って。でも、俳句のイメージが変わりました。まあ、俳句って言ってもいろいろあって、私の好みが堀本さん寄りだったんでしょうね。
 途中、句会をやるにあたって、穂村弘さんが出てきたときには、旦那さんと「出てくると思ったぁー。この人、こういう企画の時、必ずいるよね」って。あ、ディスってないですよ。短歌界のカミサマみたいな人ですし。
 それに、穂村さんの俳句、とても素敵だった。短歌ではなく俳句も詠めるのか。すごいな、ポテンシャル。って思ったよ。
 俳句をやる人も、やらない人も読んで損なしの、読み物としても楽しい本でした。
 この本は文庫版がブッ○オフで100円になっていたら買いだな(定価で買え)。



 『感情類語辞典』(アンジェラ・アッカーマン+ベッカ・パグリッシ・著/滝本杏奈・訳)


 
感情類語辞典
フィルムアート社
アンジェラ・アッカーマン
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト




 ネットで大絶賛され、「物書き必携」とあったので、借りてみた。
 物書きではあるが、私は現代日本の物語しか書かないので、そのまま流用できない部分はありながらも、勉強になります。確かに。
 以前書いた小説で、「主人公の目の前にいる男の子は主人公の事が好きで、かなりダダ漏れているのに、主人公は気付かないふりをしている」というシチュエーションで、男の子が基本的にずっと笑っているわけですよ。嬉しいから。それを、主人公の一人称で見ているわけだけれども、主人公はなぜ笑っているかについて興味ない(うすうすわかっていてもわからないふりをしている)から、ただ「笑っているなあ」って感じで、どう表現すれば良いか、結構考えました。わかりやすく「嬉しそうに笑っている」では駄目なわけで、どういう感じで笑っているのか、笑っているにもバリエーションがあるからそれをひねり出さなくてはいけない。だんだん、「松平くん笑いすぎじゃ!阿呆!」と息子に対して歯をむきだしにしました(本書「怒る」の項より引用)。
 通読して、自分の中に語彙を増やしたい!自由に表現できるようになりたい!
 そうか…「お願いが一つだけ叶うなら」を問われることがあったら、「語彙力を増強して自由に出し入れできるようにしてください」って頼もう。バケツいっぱい唐揚げが食べたい、とかにするの、よそう!
 ううん、この本、文庫版になって、ブッ○オフで100円にならないかな(定価で買え)。


 こうして読み返すと、定価で買ったのはぬまがささんの本だけであるよ…。
 
 世の文字書き氏諸兄、死なないでください。お願いします。