バレンタイン

 「製菓業界の陰謀」と言われようとも、大手を振ってお菓子作りができたり、甘くて美味しいものを食べられる日なのだから素敵じゃないかと思う40代。
 Aセクなんじゃないかと疑うほどの「恋愛に興味ない民」だった自分。
 もちろん、「学生の頃、好きな男子に」みたいな甘いことも皆無で、まあ、男子って恐怖と嫌悪の対象でしかなかったしな、醜形恐怖症気味なとこもあったから、「あたしに恋愛なんて」というか、とにかくときめいたこともなけりゃ泣いたこともなく。

 記憶を探ると一番古い「バレンタイン☆ドキドキエピソード」は、駄目恋愛していたとき。
 クリスマスやバレンタイン等のイベント付近で会えるなんて思っていなかったのに、バレンタインデーに会えたことがあって(ええ、そうですよ。相手から連絡がなければ会えないという駄目恋愛でしたからね)。
 もう、すっげードキドキして、どうしよう、どうしよう、きゃー、どうしよう。って。

 バレンタインチョコなんぞ持ち帰ったら奥さんにバレかねんし(おいおい)、ゴディバ的な重いチョコは重い奴だと思われかねんし、で、横浜駅で買ったチロルチョコ。冗談のふりで「バレンタインです」って渡したら、2~3個渡したんだけど、1つ、2つ食べて、包装取って、私に「あーん」って食べさせて証拠隠滅。
 そう、「証拠隠滅か」ととっさに思った(笑)。

 駄目ですよ。絶対。駄目恋愛は本当に駄目です。今の私があの場にいたら、昔の私にドロップキックをお見舞いしています。自分の旦那さんにそんな風に近づく女がいたらと考えると、とりあえずその女は〇スとして、殺す(伏字の意味)。

 次は、検体集配員のTくんですかね。あのとき、生まれて初めて「本命にチョコを選ぶ」というイベントを経験しました。
 告ったわけでもないし、告るつもりもないため、「重くないように」と、1000円くらいのアソートチョコを選んだ覚えが。イトーヨーカドーで。←場所がダサい。

 ああ、でも、あのチョコにメルアドを記したカードを忍ばせたんだから、やるじゃん、俺。ヒューヒュー。メール?ええ、来ましたよ。おほほ。恋愛自体は全然発展しなかったけどね。

 そして、現在。

 「結婚の利点はなにか」とよく問われるのですが、ここです。

 「相手に全振りしてもオッケー」

 すごく大きい。むちゃくちゃドン引きするくらい重い愛情をぶん投げても許される(と思う)。全身全霊で「お前が好きだ―!最高だー!一生一緒にいてくれえええ!!」と絶叫しても(とりあえず)許される相手。ありがたい。

 つーわけで、今年はタルトを焼きました。

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 タルトだよ。タルト生地から作ったよ。まあ、めちゃくちゃ簡単なホケミバージョンだけれども。

 こういう、クソ重い、ドヤァ案件のお菓子を作っても喜んでくれるのは嬉しい。むろん、今まで好きになった(正しく好きになったと言える相手は今の旦那さんしかいないが)相手より、数億倍以上、旦那さんのことが好きなので、愛情に比例した贈り物であると言えばそうである。

 そんでさ、こういう話をすると、「旦那さんは幸せ者ですね」と言われる。

 これ、どうなん?いつも、「はあ?」って思うん。

 私自身のことですらお前、よく知らねえじゃん。それなのに、うちの旦那さんのこと全然知らんくせに、なんで幸せ者であると規定するのかね。推察してることは理解できるが、言われるたびに、それはどう切り返すのが正しいのか考える。

 普通に「ありがとう」と言うので良いんだろね?ええ、まあ。そうだね。ただ、旦那さんが幸せ者である以前に、私がやりたくてやってることに旦那さんを巻き込んでいるだけだし、もしかしたらそれで多少なりとも面倒くせえと思ってるかもしれないのだし、妻が夫に対して愛情深いアクションを起こすことだけが幸せに直結しているわけでもないし(何もしないご夫婦も、お互いがそれを容認及び理解しているのであれば変わらず幸せであると思う)。

 旦那さんが幸せ者である前に、私は旦那さんみたいな人と結ばれ、好きになることを許可され、クソ重い愛情をバンバンぶっかけても嫌がられないという、そちらの方がすごくて。

 幸せ者は私なんですよ(真顔)。

 二十代の私に言ってあげたい。「40代はクッソ幸せだからもう少しの辛抱だ。頑張れ」と。

 某配信者(と言う言いかたが正しいのか不明)が、退廃的なことや病んでいるような発言(死や病を肯定するような発言)を繰り返し、昨夜の地震に絡めて言った言葉がついったで炎上しているらしい。

 しまぐらしのしまともさんが、この人のお友達(?)のアカウントの信者で、どんな人なんだろうかと動向を見守っている(暇人)ので、ツイートもポツポツ見たりしている。
 完全に中二病の痛々しい、境界型人格障害的キャラクター。

 もう、さ。古いよ。一周回って新しいらしいけど、古い。インターネット老人会の会員から言わせてもらうと、「昔っからいるわー。こういう人」。

 そして、若いころはこういう攻撃的な意見に対して賛同したくなるというのもわかる。

 「親が死んでもなんとも思わない。他人の死に共感できないし、死に対してはなんとも感じない」という旨のツイートをしていたが、それだって、おばさんは「そういう時期ってあるよね」と思ってしまう。

 私自身もこの年になって、埼玉に住む叔母(比較的交流のある、仲が良い類の親戚)の死よりも、飼い猫の死の方が5兆倍悲しかった。
 叔母さんは共に暮らしていないから生きていても死んでいてもわからない。でも、猫は実家に帰ったときに「にゃー」と答えてくれていたのに、実家に帰っても会えない。叔母との付き合いはそれこそ30年以上、自分の年齢と同じだけあるくせに、猫とはその半分以下。それでも、人間の死よりも、50兆倍、猫の死は悲しく、つらかった。

 そういうことはあって、それは別に人の死を軽んじているわけではなく、体感しづらいという問題でしかないと思う。

 だから、件の配信者が親の死に対しても、親との関係性とか年齢によって、体感しづらいのであれば、「なんとも思わない」になっても、まあ、若いんだし、仕方ないんじゃないのかな。と。

 思っても言う、言わない、という問題はあるけれど、Twitterなんて便所の落書きと一緒なんだから、嫌なら読まなきゃ良いんだしね。大勢の人の災害死をからかう内容に怒る人の気持ちもわかるけど、放っておくんが最善なんじゃないかな。自分で体験しないとわかんないよ。若いってそういうことだ。イキがってるガキは特にそう。

 自分もね、若いころは死にたかったし苦しかったし、生きている意味もなかったし、とにかくひたすらこの時が終わればいいなんて思っていたけれど、ちょっとずつしがみつくように生きていれば楽になること、わかることも増える。
 諦めることが増えるのは悪いことばかりじゃなくて、私は年を重ねごとに息が吸いやすくなっているから、若い子が死にたいと悲しむ姿を見るたびに、「とりあえず今日、今日を頑張ったら明日。1年後とか考えなくていいからそれを繰り返してみろ」と言いたい。

 生きていればいいこともある。昔の人が言うことはだいたい正解ですよ。

 こんな駄目人間でも、バレンタインのタルトを喜んでくれる人と巡り合えたんだからね。

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