自分が得意なことを「たいしたことない」と思うのはよくない

 前も書いたけど、これ、本当にそうで。私は気を付けていないとどんどん陥ります。

 こうして文章を書くこと、献立を立てること、家のことをする、料理など、苦にならず、体感的にやってて楽しく、とても簡単に思えるために、「たいしたことない」と思いがちであるが、できない人からしたらすごいこと。

 根底には「できなくても良くね?」とか「できることをできるのは当たり前で、できないことを頑張ってる人の方がえらい」と思っている節もある。

 うちの父親はDIYの申し子です。元大工だからということもあってか、とにかく何でも自分で作るし直す。
 なんなら家も増築したくらいの男だが、子供の頃から「お父さんすごいねー」などと1回も言ったことも思ったことも、特にない。

 この人はできる人なんだから、まあ、そういうもんだろ。くらいの認識。

 器用で上手なのに、全然「すごい」とはならない。あ、あれ?あたしがひどい娘なだけ?

 料理もね、父親は好きで毎日作ってるけど、すごいとは思わん。私も好きで作ってるからすごいとは思わん。
 逆に、料理がものすごく嫌いな母親が何か作ってくれると「すごい」と思う。そして母の料理の方が美味しいってのがまたすごい。

 「適性がある」って言い方もするそうですね。

 きっとそういうことなんだろう。

 私はもっと特殊なこと(すごく歌が上手いとか、絵が上手とか)になりたかった。両方下手だからすごく思う。
 けれど、生きていく上で必要なことを「難なく」こなすって方が、きっと生きやすいんじゃないかなって思うようになった。

 今は専業主婦をしてて、片付けることや掃除、料理、その他家事が苦にならんで楽しいばかりだから、しんどいって人の話を聞くたびに「私には適性があって良かったなー」って思う。

 ちょっと前のポテサラの話。

 スーパーで買い物をしていたら、「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」という声と、それを発したと思しき高齢男性、言われて固まっている子連れの女性を目撃したというツイート。

 とりあえず、高齢男性と言われた女性が見ず知らずの関係だと仮定した場合、高齢男性の「知人でもなんでもない相手に暴言を浴びせる」という行為がまずアウトで、その次に「母親なら」という限定した攻撃、そして「ポテトサラダを軽んじている」が来るでしょうかね。

 「見知らぬ人に一方的に暴言を吐く」って人は、まあ、いますね。そういうヤツは(以下残虐な描写が続くので割愛)ですが。

 「母親なら」もかなりカチンと来るところ。子連れだったから「母親なら」と言ったのでしょう。私だったら言われなかったのかな。「専業主婦なら」って言われるか。およよ。

 とにかく「大きなお世話」であることは疑いようもなく、いまどき「母親ならホニャララ」もなぁ。って思うね。高齢男性に対して「ジジイなら家で盆栽の手入れでもしてろ」と言いたくなってしまう(イメージが貧困)。

 そしてポテサラ。作るのが面倒で買った方が良いという意見が多勢を占めており、「なるほど」と思いました。

 私としては「ポテサラって簡単なのに。簡単で失敗がなくて旦那さんが好きで便利」と捉えており、なおかつ、お惣菜のポテサラが割高のように感じる貧乏人だから、「お惣菜のポテサラって御馳走」ってイメージです。自分で作ったポテサラは玉ねぎのみじん切りとかキュウリの薄切りとか入れない、こう、ポテサラの亜種ばかり食べているからか。本当のポテサラを見失ってるような気もする。

 はっきり言って、お子さんがいらっしゃる方ほど、ポテサラは買った方が良いと思う。うん。作ってる時間で遊んであげたり、一人で何かできた方がいいよね。

 私がその場にいたらどうするかをちょっと考えた。

 つい主さんのように、「大丈夫ですよ。平気ですよ」という気持ちでポテサラを2つカゴに入れるのも良いだろう。応援の気持ちを態度で表すのだ。

 でも、私なら「えええ?」って言っちゃうと思う(笑)。

 「え、ええ?」って言って、お母さんの顔を見て、その人が一言「ひどいですよね」って言える雰囲気を作ってあげたい。
 もしくは「なにあれ」と呟く。それに乗っかれるように。言われた人が「びっくりしました」とか言ってくれたら、「ですよね!ないです!あれは!!」とか激しく同意しまくる。

 高齢男性に文句を言うのはハードルが高い(キレられると面倒)から、言われた人のフォローに回りたいよね。

 私は自分が絡まれることは多々あっても、絡まれている場面に遭遇したことはなくて。
 
 だから、周囲の人がそそっと近寄ってきて「なあに?あれ」くらい言ってくれるとその場で「ねー!」って言えて良いのにと思う。

 と、こういうのも、私は「難なく」できるタイプなのです。

 知らん人に「これ、安いですよねー」と話しかけられたり、「それ美味しかったわよー」と話しかけられたり、とにかく「話しかけられ顔」のため、必要とあらば素知らぬ顔をして「そっちより奥にもっと安いのありましたよ」とか言えちゃうのだ。
 
 私はこういう能力(?)を「たいしたことない」と思うが、それは果たしてそうだろうか。

 昨日、農家の庭先で野菜の無人販売をしている家へ行った。

 目当てのトマトはあったが、キュウリはない。そこへ、その家の主と思しきおじさんがキャベツを抱えてやってきた。

 「キュウリはもうないですか?」

 「キュウリかー。それよりこっちはどう?空心菜」

 「んー。でもキュウリ買いに来たの」

 「それじゃあ、ちょっと待ってられる?そこ(の畑)からとって来てやるよ」

 「わーい、ありがとうございます。待ってます」

 しばし待つ。むきだしのキュウリ3本とトマト3つ入りを2袋抱えて。

 「わー、すごい。ありがとうございます。それじゃ400円、ここに入れますね」
 
 そこへ、その前の道路を工事していたお兄ちゃんがトマトを見て。

 「わー、すげぇ、トマト美味しそー」
 
 「ここのトマト美味しいですよ!あと、ちょっと前スナップエンドウも美味しかったです」

 「あ、ああ、そう?ありがと!」

 そしてむきだしのキュウリをリュックに入れて帰宅。

 こういう会話とか、全然平気。苦にならない。人見知り皆無な性格。これは、こういうことができない人からすると「すごいこと」なんじゃないかと思う引きこもり専業主婦なのでした。
 

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この記事へのコメント

  • setoka

    自分ではたいした事ない、出来て当たり前と思うような事であっても誰かの役にたったり笑顔にする事が出来たなら、それは「すごい事」だと思うなぁ。
    必要な事を難なくこなす…確かに生きやすいと思います。そしてその先に誰かの為にとか誰かを喜ばせたい♫という想いが加われば当たり前の事がもっともっとすごい事になるかも。

    スーパーでのポテトサラダの件、興味深く読ませて頂きました。私もその場にいれば、「なんだ、このおじさんは…」ってカチンとくるでしょうね。でもそれはポテサラを手作りするとかしないとか言う事よりも、お財布の中身をあれこれやりくりしながら子供やご家族の食卓の為にって言う母親の想いを否定したのでは…っていう私の勝手な想像から来る感情かな…

    一芭さんが毎日当たり前のように作っている料理もお父様のDIYもご家族への想いに溢れていてとてもすごい事ですよ!
    2020年07月15日 20:19
  • 北村一芭

    setokaさん、いつもコメントありがとうございます。

    私は「自分を軽んじない」ということをしてゆかねばならないな、って感じています。
    天狗になったりしてはいけませんが、ちゃんと自分のことも褒めてやらにゃー、みたいな。
    それでも、うちは旦那さんが「え、こんな些細なことで?」って思うような事柄まで「すごいねー」って褒めてくれるから、多少は「あたしって、すごいの?(半信半疑)」くらいにはなりました(笑)。

    ポテサラじじい(言いかたが悪いな)は、問答無用で裏拳殴打くらいしても良いと思いますが、想像力が貧困であることが残念ですね。続いて、「言っても大丈夫と思っている図々しさ」。「普通は思っても言わないよね」ってことをズケズケ言う人って、どうしてあんなに自信満々なんだろって思います。

    私は同居する前から両親の用事とかホイホイ受けまくってて、他の人から「すごいですね」なんて言われたことがありますが、それも、なんというか、「あたりまえ…」で、父が「なに?作れ?いいよ」の人だから、そういう人を見て育ってきたからかなと。父と似ていると言われるとすごく嫌なんですが(笑)。
    2020年07月16日 16:40