杳月日記

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zoom RSS 「癒える」と「治る」

<<   作成日時 : 2018/05/29 11:26   >>

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 中井先生の「考える患者シリーズ」の3巻目を借りて読みました。

 『統合失調症は癒える(中井久夫と考える患者シリーズ3)』(中井久夫・監修解説)


 
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 今回も元患者・患者さん達が中井先生の言葉を読みながら自分の事を語る形式です。
 中井先生の言葉は的確で優しく、まじ癒されますわ(笑)。

 本書のタイトルについて、わざと「治る」ではなく「癒える」としたそうです。「はじめに」と題された森越まや先生(精神科医)の言葉は中井先生の言葉を引いて以下の通り。

 ある患者は「病気になったとき将来はないと絶望したけれど、その先に違う未来があった」と語った。統合失調症は完治する人もいれば、さまざまな衆生を抱え続ける人もいる。”絶望”は「治す」ものではなく「癒す」ものであろう。

 症状のすべてをきれいさっぱり取り除くことが患者に対して本当に良い事なのかということもある。「神の声」が聞こえていても、本人もそれを取り巻く社会も何も困っていないのであれば、それは「抱えて生きる」で良いと思う。そこまで中井先生は考えておられる(感服)。

 相変わらず金言がたくさんでした。


 病気になる人の場合は心身の警報が弱いか無視する習性が身についた人だということができるかもしれない。このマイナスを本人や周囲が「がんばれる人」とプラス評価してしまうことも問題だ。

 
 ん。あああ。耳が痛い。めっちゃ耳が痛い。これは統合失調症に限らず、鬱のニンゲンにも当てはまりますね。いや、鬱は体の症状が出やすいから(統失はほとんど出ない)、それを指して言っているわけですが、「心身の警報を無視する」というのは当てはまるん。スキゾの人は「わからない」らしいけど、鬱は「わかるけど無視」という、まあ、どちらにしてもしんどいっすわ。


 患者のなかの力を強め、「発揮する力」と「蓄える力」を大きくしてゆくことが本筋である。薬物も精神療法も、そのきっかけをつくり、その道をならだかにするためのものである。(中略)強くなるとは、暴力的になるとか、押しつけがましくなるとか、セクハラをするとか、何ごとにつけてくどくなることの「反対」である。これらは、弱さのあらわれである。

 弱い人がたくさんいる。非病者の中にも。病的にそうある人もいる。どうにかならんか(遠い目)。


 薬物使用の方向性は、患者も家族もその他の関係者も知っていなくてはならない。そして、本人の意向と、家族、支援者の方向性を合わせておく必要がある。そうでなければ、たとえば鎮静量の薬物を使っている患者に、早起きや仕事など無理をすすめることになりかねない。

 これも大事だよねー。確かに気分が落ち着く薬(鎮静量の薬物)を使っているのに仕事しろとか、そりゃ無理っつー話ですよ。繰り返し、静養や養生が必要と中井先生はおっしゃっていて、「薬を飲みながら仕事」というのは、病がほとんど癒えた後にする調子合わせであり、がっつり治療しないといけないのに休まないで薬だけという場合がほとんどではないかと思う。
 薬物治療や電気ショック治療への考え方はとても筋が通っており、他の精神科医も中井先生のように考えてくれたら、多剤依存もなくなるのではないかと思うが。まあ、難しいのだろうな。爪の垢飲めや。としか言えん。


 「自分は統合失調症患者である」「自分が聞いている声は幻聴である」――これは、”病識”なんかじゃないと私は思います。強いていえば「精神医学に降参しています、帰順しています」という意味でしょう。「苦しいところを通り抜けてきた。いまとは違う。あれは病気だったんだ」というのが病識です。あるいは「何かふだんと違う。これは医者に行かねばなるまい」というのが病覚です。

 私も自分がしんどい時にはそれを「病気だ」とはなかなか感じられずにいました。癒えてから、「あれ、すごかった」と思う。仕事を辞めて三か月後くらいにそれが山のようにやってきました。「いまとは違う、あれは病気だったんだ」とまさに思いました。病覚もきちんと持てるようになりたい!


 消耗状態には「あれだけ大仕事をしたのですからね、外からは目に見えない仕事ですけど」といったコメントが必要だろうし、とくに「ぶらぶら怠けているように見えますけど」といわれればきっぱりと「治療という大仕事をなさっているのです」と答えるのが医師の義務だろう。まさにそういう仕事をしてもらっているのではないか。

 こんな先生おるんかぁぁ(儚く泣く)。統合失調症は本人も周囲も大変だから、特にこうやって言われたら、患者さんも家族も安心すると思う。また、それを「義務」と言い切るところがカッコいい。先生は以下のようにもおっしゃられています。


 「だれもが病人でありうる、たまたま何かの恵みによっていまは病気ではないのだ」という謙虚さは、ともに生きる社会の人間の常識であると思います。

 神谷さんの「なぜ私たちではなくあなたが」に通じる、とても尊い気持ちだと思います。

 最後の解説に、南信病院の近藤先生が筆を寄せているのですが、その中に、南信病院に中井先生ご夫妻が病室に泊まられたという話があります。自分が勤めているわけではない病院の病室に!泊まる!!すごい!
 しかも、四泊五日の中で、患者さん達に溶け込んで仲良くなり、最終日には惜しまれ見送られたそうな。患者さん達は中井先生がどんな肩書きの人かは知らず、帰られてから近藤先生に「あの人はどういった人なのですか?」と聞いたというから、「医師」として上から近づいたわけではなかったのでしょうね。中井先生……さすがや……。

 私も癒されました。いやあ、温泉のようなお方だ(褒めてます)。

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