蟻のように働き、鷹のように見る。

 どうしてF市の図書館は蔵書が変なんだろう(褒めてます)。蔵書数で言ったら、政令指定都市である我が横浜市の方が多いはずなのに、いつもお隣の市の図書館で面白い本を見つけます。

 この本も、見つけた時は「やった!やったよぉおー♪お~おおお~♪はじめてのチュウ~」と脳内に無限ループするくらい嬉しかったわけですが。
 なんぞ、すごい本だった(いろんな意味で)。


 『被差別民とその部落の起こりと歴史―被差別部落法制定史と人権―』(山中順雅・著)



 
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 わー。Amazonにあったー!納豆ご飯の本はなかったのにぃ!!←

 ええと。さて。私は以前より同和問題に興味がありまして、様々本を読みました。
 なんで同和問題に興味があるのかと言うと、「同じ日本国民でありながら、どうして差別される人達がいるのか皆目わからん」と思ったからです。どんな暮らしをしていたのかとか、どんな目に遭っていたのかとか、そういうことは後からで、「え。なに?なんで?」ってずーっと思ってたんです。
 私は東京生まれの横浜育ち。周りに被差別者はいませんでした。世代的なことがあるのかな?どうなんだろ。「あの人は○○だから」みたいな言葉は聞いたことないし、授業で習った覚えもほとんどない。むろん親戚一同自分自身も友達にも差別で苦しんでいる(苦しんでいた)人はいない。
 だからこそ、「なんでそんな風にひどいことすんの?」って思ってたわけです。
 「こうであった」「こんなことされた」という本はたくさん読みました。当事者さんの本がほとんどで、理不尽な目に遭ってきた人達の叫びをたくさん読みました。読むと、ますます「え?だから、なんで?」って思うのです。

 「そうであるから」

 という前提が、なぜ?どうして?

 しかし、とある本によって、「差別をする」という理由がわかりました。
 歴史的な背景やきちんとした理由からではありません。

 結果論から見たときに、「差別対象者は特定の地域に住まわされる(隔離される)」→「川筋や物理的な隔たりによって隔離されているからこそ、『中』での文化や考え方、言語などが生まれる」→「理不尽な差別ゆえ、差別してくる人間に対しては悪感情を持っている(←これは当たり前のことですね)」→「被差別者と差別者の間に感情の悪化が生まれる」。逆から見ると、「被差別者は言葉遣いや行動が荒い」→「怖い」という単純な図式により(それだけではない思いこみや無知もたくさんあるが)無理解が進み、「アイツらは俺たちと違う」という差別の増長が起こるのだな。ということ。

 ぶっちゃけ、職業も教育の機会も(昔は)制限され、言葉遣いが荒いんだったり気性が荒くなるのは被差別者が悪いんじゃなくて、なんというか必然というか当たり前だし、荒くない人達もたくさんいるだろうし、それだけではないのはもちろんです。

 ただ、ものすごく門外漢として、また関西弁に親しくない人間として、カギカッコつきの会話を読んだ時に「これは怖いなあ」と、こう、やっぱり思ったのよ。

 思ったことへの是非は置いておきます。

 そして、自分の中にも差別意識と言うものは厳然と存在しているということがわかりまして(それは同和問題当事者さんへではありません)、「なるほど。差別とはこうした醜い、けれども払しょくし難い強烈な心持によって発生するのだな」という事がわかり、私の同和問題への興味は一時中断しました。

 したはいいが、実際のところ、「なんで被差別者と決められたのか」は宙ぶらりんのまま。
 凄く昔から連綿と続いていることであるらしく、どこが最初なのか?

 それはいつも不思議だなあと思っていました。

 前置きが長いな。

 そんな時、この本を見つけたのです。前書きにこんな文章がありました。

 「(前略)後にそれが社会的差別を受けている人を指して言う言葉だと知り、同じ人間でありながら、なぜ差別があるのか私は不思議に思い続けてきた」

 同じ事を思ってた人がいた!そうなんだよ。なんでなの?
 喜び勇んで読み進めると、著者の主張はこんな感じでした。

 「日本書紀に『第四十代天皇』と記されている天武(673~686)は(略)『天皇』を『神』に『奴婢』と公称される奴隷を『被差別民』にしたのである」

 天武天皇(著者はあくまでも天武は天皇ではないとしていますが、面倒なのでこの言い方にします)が諸悪の根源。この人が行った大祓いの儀で、それまでは形代(木札や人形)に穢れをつけて流すなり燃やすなり埋めるなりしていたのを、奴婢と呼ばれる奴隷階級の人達を形代として天皇の穢れをつけて『不可触民』とし(穢れは移るからね)、殺さずに隔離して住まわせ、ついでにそれ以外の階級の人達がやらない仕事を負わせた。ということだそうです。

 は、はあ。なるほど。

 そんで、穢れを移して流すという思想は道教の教えである。

 ん?え?あ、ああ。ん?

 そもそも天武は朝鮮の人間だ。

 え?は?はあ?

 古代の日本は朝鮮人によって作られた。

 や、ちょ…。

 だから記紀は完全なるフィクションで(しかもほとんどすべてが朝鮮や中国の逸話の完全なる焼き増しで)、他の神話体系はその神々の存在の有無が確実に否定も肯定もできないものであるが、記紀に関しては物語上の登場人物である(存在の有無が確実に否定も肯定もできないものではない)。

 ん。ちょっとお茶でも飲もうか?
 ……ええと。ううんと。反駁個所に付箋をつけながら読んでいたら、もうツッコミきれなくて途中から目が上滑りし、内容が頭に入らない上に読みたくなくなってザラーっと流し読みしました。すいません。

 それが本当であるか違うのであるか確実に証明できないことであるのならば、私は渡来人史観とやらは採らない。古代の天皇や豪族の全てが渡来人であるという説には首肯しかねる。

 神道をなんだと思ってんのか。ぷんぷん。道教の焼き増しじゃねえぞ、こら。それと、日本仏教の懐の深さ(言いかえれば節操のなさ)なめんな。
 とりあえず、聖徳太子が渡来人だとするのだけはダメだ。全力でダメだ。まじ仏教なめんな。実在しなかったとか宇宙人だったってのとか一人じゃなくてたくさんいたんだとかそういうのは笑えるが、それだけはダメだ。

 話がズレた。まあ、話がズレっぱなしで、それからも何だかズレまくった本で、天武天皇が諸悪の根源でとにかくひたすら悪くて、仏教においても空海が被差別者の事を差別してるし、いろいろとブースターかけて被差別者達を貶め陥れてきたんですって、日本人は。

 「穢多」という言葉は、代々から続く、血が穢れているとされる被差別者をだけ指す言葉ではなく、包括的な言葉として使われていたように思います。昔は差別される人達は他にもたくさんいました。ハンセン病の人達が中でも最下層だったとされ、その人達を全力で救済しまくった偉大なる僧侶がいたってことはどうとらえているのか。
 引用している本に偏りがあり、仏教関連の辞典に至っては、『仏教語大辞典(中村元)』と、『創価学会経学部編 仏教哲学大辞典』の2冊であり、後者!後者は!!アカンて!!(笑)。

 著者は弁護士で、同和問題に対しても意欲的に活動しているそうな。歴史学者でも何でもない弁護士先生の書いた本であるから目くじら立てる必要は何一つないのだろうとは思うのだが、トンデモな本であった。
 大局を見て欲しい。神道、仏教、民俗学、歴史、いろいろ絡んでいるのが文化というもんだ。


 まあ、私も存外差別主義者なので他人様の事は言えないのであるが、蟻のように微細に調べ立ち働き、鷹のように広い視野と素晴らしい視力で物事を見たいと思う。

 んー。そんで、実際のところはどうなんだろうか(ふりだしへ戻る)。

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