杳月日記

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zoom RSS 人の頭の中は見えない

<<   作成日時 : 2016/06/13 11:33   >>

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 「他人からどう思われているか気になる」という問題を目にして。

 私はこう考えています。

 「その人が私をどう評価するかは、その人のものだ。私が口出しすることじゃないし、その人の考えなのだから、一喜一憂することではないし、それによって私の価値が決まるものではない」

 頑なにそう思っているので、「ああ、それは貴女の中の私なんですね」という感じで、こう、「へえええ」で終わる。

 好きな人から悪評価をちょうだいすると、それはそれでカナシイ。もちろん。
 だけど、私にとって「大切な人」って、すっげ少ない(笑)。
 んなもんで、少ない人達から嫌われるのは正直勘弁してほしいけど、それだって私が播いた種であろうから甘んじて受け入れる。弁解の余地があったら手を尽くす。それだけ。

 自己評価が低いとか高いとか以前に、圧倒的に「どうでもいい」と思っているらしい。

 人間は他者からの評価でしか成り立たないものらしいんで、そもそも私と言う存在は成り立っていないのでありましょう。別にいいや。それでも一応呼吸したり飯食ったりできてるし。

 そんな中、本を読みました。

 『飛びはねる思考』(東田直樹・著)

 
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 お友達がブログで対談本を読んだとお書きになっていて、興味を持って図書館webで調べたら当該図書はなく、さりとて著作が何作かあったので借りてみた次第です。

 常に10人以上の予約者がいるため、「読みたい」から「読んだ」がこれほど速かったのは僥倖です。

 作者の東田さんは重度自閉症で会話ができません。
 しかしながら、文字盤ポインティングやパソコンで自分の思考を相手に伝えることができます。

 若干20代前半にも関わらず、語る言葉はとても深くて勉強になります。
 というか、自閉症の方達も、頭の中には言葉がたくさん溢れていて、それを適切な場面で適切なカタチをもって表現できないだけである。という厳然たる事実。勉強になりました。

 唐突にその場面とは無関係な単語を発してしまうのも、いきなり立ち上がったりパニックになったりするのも、それはそれなりに原因があって。なるほどの連続。

 大人の自閉症の方と接する機会はほとんどありませんが、小児自閉症患者さんとはしばしば接します。

 その時に、見た目はおとなしく座っている患者さん(子供)に、「どっか痛いところある?」と尋ね、お母さんが「この子、話せないんで」とか「この子わからないんで」って言うことが多々あります(つかほぼ100)。

 そんな時、いつも思うのは、他人に「この子は何を言ってもわかりません」とか「聞いても答えません」ってお母さんが言い切っちゃうと本人はどんな風に感じるか心配。ってことです。

 健常児でも恥ずかしがり屋さんは自分で言えません。私も幼少期はそうでした。
 お母さんは先んじて手を講じようとするんだろうけど、こっちとしたら、「この子は話せませんから」という情報ではなく、自閉症でも小児麻痺でも痛い時は痛いとサインを出すであろうと思うわけで、それが一番わかるのは医療者ではなくて家族で、その子に障害があろうがなかろうが、親が汲み取ったその子の「つらい」を和らげる手助けをさせてほしい。ということなんです。

 だって、だから、病院に来てるんでしょ?

 相手に障害が有る無しに関わらず、「咳がひどい」と言われ、当該患者さんが咳を激しくしていたら、「あー。つらいね」と労わる。そういうのは隔たりなくしています。
 「この子は何を言ってもわからない」とお母さんに言われても、「〜だね」と声をかけていました。

 それが、まあ、そんなに間違っていなかった(悪い方向に作用することはないらしい)と知れただけでも読んで良かったです。

 この本。初っ端の14ページからスゴイことが書いてあって引き込まれました。
 この文章を当事者さんが言うということは、すごいことですよ。

 少し長いですが、引用します。

 『啓発活動をしている人は、障害の理解を広めれば、誰もが暮らしやすい社会をつくれると考えています。しかし、人の心は複雑にできています。理解できたから、協力するとは限りません。正しさがいつも、世の中を動かすわけではないのです。いろいろな矛盾も含め、多くの人たちの意思でこの社会は成り立っています』

 その通りすぎる!(笑)。

 まずは知ること。それは大事。
 でも、知ったからといって、関わり方は人それぞれ。それが当たり前ですよね。

 たくさんの人達の意思が、各々に尊重されなければいけないだろうし、正義とは見る角度によって様々に形を変えるものです。

 司法の現場は腐りきっていて、政治も腐敗しまくっている。
 だけど私達はそれらに守られ生きているわけで、多少の「そりゃないぜ」を踏みしだいて生きて行かなくてはならないのだなー。と思いました。

 東田さんは繰り返し、「一人では生きていけない」と言っています。

 一人で生きていくつもりで腹をくくった私でも、夫と出会ってからは「一人では生きていけない」と思うようになりました。

 誰かを支えたい、支えられたい。
 それは「認められたい」から発して行うものではなく、もっと純粋な衝動であってほしい。
 少なくとも、私はそのように努めています。

 これは障害の有る無しに関わらず読めば納得の素晴らしい1冊だと思いました。

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